世の中には「珍車」と呼ばれるクルマがある。名車と呼ばれてもおかしくない強烈な個性を持っていたものの、あまりにも個性がブッ飛びすぎていたがゆえに、「珍」に分類されることになったクルマだ。
そんなクルマたちを温故知新してみようじゃないか。ベテラン自動車評論家の清水草一が、往時の体験を振り返りながら、その魅力を語る尽くす当連載。第4回は、日産が日本で製造したフォルクスワーゲン車、サンタナを取り上げる。
文/清水草一
写真/清水草一、日産
■巨匠も「いいクルマになる」と太鼓判?
日産でサンタナが生産されていたのは、1984年から1991年までだが、「日産の珍車」としては必ず名前が挙がる”名門“だ。なにしろサンタナは、当時フォルクスワーゲンの最高級セダン。それを日産座間工場でノックダウン生産し、日産ブランドで販売したのだから、「珍しさ」に関してはトップ級だろう。日本の乗用車生産黎明期はいざ知らず、80年代以降、海外メーカー車を日本国内で生産した例は、サンタナが最後である。
当時、日本車の海外輸出で貿易摩擦が発生しており、欧米からの突き上げが物凄かった。日本車はバンバン入ってくるのに、われわれのクルマが日本でサッパリ売れないのはどういうことだ! と、デトロイトでは自動車工場の労働者たちが日本車をハンマーで叩き壊すパフォーマンスが流行っていた。
日産としては、もっと多くのクルマを輸出したい手前、輸入車も受け入れます! というポーズを作る必要があった。日本で現地生産すれば、フォルクスワーゲンの技術を取得することもできて、一石二鳥の策だった。
そんなわけで、1984年から日産サンタナの生産・販売が始まったのだが、当時、専門家たちの期待は大きかった。著書『間違いだらけのクルマ選び』で、初代フォルクスワーゲン ゴルフを絶賛した巨匠・徳大寺有恒氏も、「日産サンタナはいいクルマになるだろう」と述べていたが、ドイツ車の優れた性能を、日本車並みの価格で買うことができれば、日本のユーザーがドイツ車のすばらしさを知るいい機会になると考えたと推測される。
■若きカーマニアを魅了した直進安定性
ここから個人的な話になるが、日産サンタナが我が家にやってきたのは、発売直後の1984年3月のことである。今は亡き父が、付き合いのあった日産ディーラーの営業マンから、「今度、すばらしいクルマが出ますから是非!」と勧められ、よくわからないまま買ったのが、2.0L直列5気筒エンジンを搭載したトップグレード(当時)、サンタナXi5(3速AT)だった。
当時我が家には初代ソアラがあり、私はその素晴らしさに心底酔いしれていた。輸入車なんて乗ったことなかったから、なにがいいんだかサッパリわからない。しかもサンタナのスペックを見ると、驚くほどショボかった。
なにしろ、2.0L直5で110馬力しかないのだ。ソアラは2.8L直6で170馬力。段違いである。パワーはあればあるほどイイというパワー信仰&飢餓時代だっただけに、110馬力というのは、信じられない低性能に思えた。
ATはたったの3速。当時、国産上級モデルは4速ATが当たり前になっており、3速は致命的に思えた。当時の自分は、ほぼ実家のクルマしか乗ったことのないスペックおたく。その観点からすると、サンタナはありえない選択だった。
ただ、スペックおたくのカーマニアにも、輸入車への憧れは強烈に存在した。サンタナの姉妹車だったアウディ80の5気筒モデルは300万円以上するのに、同じ性能のサンタナは221万円で買える。同クラスの国産車よりは割高だったが、この値段でガイシャが買えるのは魅力的だ。父は「俺はサンタナに乗るからお前はソアラに乗れ」と言ってくれたので、反対する理由は皆無。憧れのガイシャにも多少乗れる。こんなうまい話はなかった。
そんなわけで、清水家にガンメタのサンタナXi5がやってきたが、そのルックスはどこかユーモラスでエレガントだった。13インチのタイヤはボディに対してやや径が小さく、ホイールベースも短めで腰高に見えるが、それがなんとも上品に感じた。直列5気筒エンジンは、右側に傾けてボンネットに縦置きされており、長大なフロントオーバーハングがまた、なんとなく優雅だった。直5縦置きFFという特殊なレイアウトゆえ、ラジエターはフロントグリル左半分に片寄っていた。
さて、生まれて初めてのドイツ車(日産だけど)は、どんな走りをするのだろう。ソアラとは比べるべくもないだろう……と思いながら走り出して、私は衝撃を受けた。
「なんだこの直進安定性は!」
高速道路を走ると、路面のわだちにまったくハンドルが取られずに、矢のように直進する。4つのタイヤが路面に張り付いて離れない感覚で、どこまでも走って行けそうだった。アイドリングでは振動の大きい5気筒エンジンは、回すほどに不思議な快楽を与え、どこまでもスピードが伸びていく!(そんなに出ませんでしたけど)
「これがアウトバーンの国のクルマか!!」
当時の若きカーマニアにとって、速度無制限のドイツ・アウトバーンは神話的存在。そこを走るドイツ車はきっと凄いのだろうという予感はあったが、スペックオタクはスペックしかわからないので、値段ばかり高くてスペックのショボいドイツ車たちは謎の存在だった。しかしサンタナに乗って、初めてその謎が解けたのだ!
私はサンタナに夢中になった。逆に父は「ヘンなクルマだ。ソアラのほうが全然いい」と、まったくサンタナに乗らなくなった。結果的にサンタナが私専用車になるという、予期せぬ逆転が発生した。ただ、我が家のサンタナは3速AT。そこだけは不満だった。
■サンタナが日本に残した置き土産とは?
その後日産は、直5DOHCエンジン(140馬力)を搭載した「Xi5アウトバーンDOHC」を追加。アウトバーンという名は魔法、DOHCも魔法。魔法の二乗の魅力に私は勝てず、社会人3年目にしてサンタナからサンタナへと買い替えた。今度はボディカラーは赤。ミッションは当然5速MT。実にカーマニアらしい選択だった。
が、大きな期待は空振りに終わった。DOHC化された直5エンジンには、SOHCのような奥行きの深いトロトロした快感がなく、かと言ってそれほどパワーもなかったのだ。サンタナは、直5SOHCの5速MTモデルがベストだったような気がする。乗ったことないですが……。
ただ、サンタナは日本に大きな置き土産を残した。1989年に発売された日産プリメーラ(P10型)は、FFとしてすばらしいシャシー性能を備えていたが、そこにはサンタナの学習効果があった。加えてサンタナは、若干ながら私のようなカーマニアも生んだ。サンタナの直進安定性の衝撃こそが、自分のカーマニア人生の原点のひとつなのである。
サンタナは、7年間でわずか5万台弱という販売実績を残し、静かに日本を去った。一方、中国や南米では、現地生産が大成功。特に上海VWで生産された中国版サンタナは、長く国民車として愛され、中国はサンタナだらけになった。21世紀に入ってからも、中国へ行けばサンタナのタクシーがたくさん走っているのを見ることができて、私はひとり、狂喜したものである。
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