トヨタのGRヘリテージプロジェクトが驚きの発表をしてくれた。A70・A80スープラ、2000GTに続き、ランドクルーザー40で補給部品復刻を公表したのだ。
クルマの部品は法的に決まった保有期間が無く、一定期間を経過すると製造が打ち切られる。冷蔵庫やエアコンは9年、テレビは8年など、家電ではその期間が定められているものが多いが、クルマの場合はメーカーに一任となっているのだ。
現在のランドクルーザーが、世界中で愛されるきっかけを作ったと言っても過言ではないランクル40の部品が、ヘリテージパーツとして再販売されるのは、非常に喜ばしい。また、40系を皮切りに以降のランクルに関してもパーツ供給を検討するようだ。
そこで本稿では、部品復刻で話題となり、ランドクルーザーの歴史上でさんぜんと輝く40系の功績と魅力を、改めて解説していきたい。
文/佐々木亘、写真/TOYOTA
トヨタが世界を意識して作り上げたランドクルーザー40系
1960年に登場したランドクルーザー40系。販売開始から、北米におけるトヨタの最量販車種となり、積極的な輸出によって世界各国で親しまれることとなる。趣味としてはもちろん、広く世界を見渡せば、まだまだ業務用として現役のランクル40を見ることができるだろう。
愛くるしいデザインが、ファンの心をつかんで離さず、四角いボディと対照的な丸目のヘッドライトがランクル40のチャームポイントだ。
のちにアメリカから人気に火が付くFJクルーザーのモデルとなったとも言われるランクル40は、1984年に70系へモデルチェンジされるまで、実に24年もの間販売され続けるクルマとなる。
ランクルの名を世界に広め、定着させたワケ
ランクル40の最も大きな功績は、日本はもちろん世界へ向けてランドクルーザーの名前を大きく知らしめたところにある。
20系で始まった世界各国への輸出は、40系発表後に本格化される。40系は輸出を念頭に入れ、北米市場に強い意識を向けて開発されたクルマだ。高速走行を重視し、高い快適性と乗用車的な雰囲気を盛り込む。
そして1974年に追加された4気筒3.0Lディーゼルエンジンが、40系の運命を大きく変えていく。国内では、初の4ナンバーカテゴリーとなり、個人の購入が大きく進んだ。
ランクルとして初採用の4気筒エンジンは、ディーゼルエンジンの特性をうまく使い、大排気量ガソリンエンジンと遜色ない走行性能を保持する。さらに6気筒エンジンから4気筒エンジンへの変更が車両の重量バランスやハンドリングを大きく向上させた。低排気量ディーゼルの卓越した経済性が、ランクルの売りである高い耐久性と相まって、世界的な大ヒットとなったのだ。
今日のランクルが持っている「世界中のいかなる道でも、最も安全に出発し帰ってこられるクルマ」のイメージを定着させ、ランドクルーザーの名前を世界に広めたパイオニアがランクル40である。
なぜ世界各国から40系補給部品の要望が集まった?
先述したが、ランクル40の生産期間は1960年から1984年までである。生産終了間際の最終型を使っていても、37年が経過しているわけだから、一般的に考えればほとんどのクルマがスクラップされていてもおかしくない。
それでも、いまだに世界各国の専門ショップやファンクラブ代表から部品を要望する声が数多く集まるのがランクル40のすごさだ。それも2000GTやスープラのように、普段はガレージに置いてあるクルマではなく、現役バリバリで毎日走っているのだから驚きである。
長いものでは61年にもおよぶ期間、世界各国の道なき道をかけ抜けている。数多くのオーナーやランクル40を利用する人々の重要な移動手段として活躍しているのだ。こんなクルマは世界中を探しても、見当たらない。
オールドカー・ビンテージカーは、走るためというよりもその存在を維持するために、修理されることが多い。メーカーも人気のある(もしくは人気のあった)歴史上の大切なクルマだから、何とかして残そうと部品を復刻させることが今まで多かった。
しかし、今回のランクル40に関しては、歴史・文化を保存する意味と同時に、ランクルという世界最強の移動手段を現役で使用しているユーザーのために、部品の復刻を考えているように思う。WEBサイト上にアンケートフォームまで準備し、本当の意味で必要な部品が何なのか、情報を集めてから意味のある復刻にしようとするメーカーの強い思いを感じるのだ。
ランクルが「壊れない・故障しないクルマ」として、これからも支持され続けるためには、その第一歩を作った60年以上前のクルマでも、故障し壊れて走れなくなってはいけないと思う。
ランドクルーザーというクルマは、どの世代のクルマでも安全を約束された走りを見せつけてくれる、動き続けるヘリテージ(遺産)なのである。
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