MEDは’81年に設立された英国では比較的新しいチューニングメーカーだ。設立当初よりAシリーズエンジンにこだわったチューニングパーツを手掛け、その高い技術力と斬新なアイデアに裏付けされた高品質なエンジンパーツは、サーキットフィールドにおいても高いパフォーマンスを発揮してきた。
時代は変わっても決して揺らぐことはないそのクラフトマンシップで、いまもMEDは世界中のミニマニアの興奮を誘うのだ。
英国中部のレスターにオフィスを構えるMED(MiniSprint Engine Developments)は、ミニのハイエンドなチューニングパーツの製品開発を手掛けるメーカーとして世界中のミニファンに馴染みが深いブランドだ。
いまでこそチューナーとして不動の地位を築いているMEDだが、設立者のスティーブ・ウィットンは、’81年に会社を立ち上げた当初は、このビジネスがここまで継続するとは思わなかったようだ。
ロングブリッジの生産ラインから最後のミニが出荷されたのが’00年。Aシリーズエンジンが登場したのは’51年のこと。この「時代遅れのエンジン」に関連したビジネスは、当初スティーブは10年続けば良いと考えていたというが、その予想は外れることになる。41年間に渡り生産された550万台のミニは、全A型エンジンの1/3以上を占めており、Aシリーズエンジンの需要が減速する兆候は意外なほど見られなかったのだ。
’81年に「MiniSprint of Leicester」の看板を掲げて会社をスタートした当初、スティーブはエンジンのオーバーホールとチューニングを簡素なガレージで行っていた。それらの仕事が次第に評判を呼んで、パーツの通信販売も順調に躍進したことから、社名をMiniSprint Engine Developmentsと改め、ハイエンドAシリーズエンジンの開発と設計に移行することになる。
最初はレースエンジンよりも、信頼性の高い効率的なエンジン作りに主眼を置いていたMEDだったが、顧客にはモータースポーツに熱心な人もいて、彼らが望むエンジン、ギアボックス、各種強化コンポーネントの製造にも積極的に参加。ミニミグリアなどのヒストリックレースのためエンジンも手掛け、ミニセブンのチャンピオンシップでは、MEDが組んだマシンを駆ってPhill Manser氏が優勝を果たしている。この頃から、フルレースを想定した独自のシリンダーヘッドの開発もスタートし、4人だったスタッフも7人に増え、シリンダーヘッドのスペシャリストであるブレア氏も仲間に加わった。
’90年代半ばには、スティーブの息子のリーが会社に加わり事業を牽引。6年前の’13年には、作業効率を上げるためにオフィスをヒンクリーのビジネスパークに移転した。そこは設備が整った広いガレージ、ワークショップが併設された近代的なファクトリーで、社内での開発や設計作業の規模を拡大させると同時に、オンラインショップといった新しい時代に即した事業展開も行われている。
しかし、時代は変わっても、MEDの頑固なまでのモノ作りの姿勢は変わる気配がない。たとえ時間がかかっても、安価な部品を使用せずに、モダンなデザインを自分たちで設計して、自分たちで組み上げる。今日の信頼性の高い良質なエンジンパーツという評判は、長い時間をかけて培われたものなのだ。
現在は、エンジンとギアボックスパーツのさらなる改良に取り組むなど、MEDのAシリーズエンジンの限界に挑戦する野心は、まったく衰えを見せない。
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2019.6月号より
MED
https://www.med-engineering.co.uk/