歴史のことやモディファイのこと……。

ミニに関する基礎知識はたくさんあるけれど

実はよくわかっていなかったり

ちゃんと考えたことがないことってありませんか?

そんないまさら人に聞けない疑問に

編集部お答えします!第5弾

 

ローズのドライブが冴えていた’67のマシンは?

クーパーチーム 

ミニ・クーパーS MkII

66年よりGr.2レギュレーションからGr.5へと移行した

BRSCサルーンカー・チャンピオンシップでは

Gr.5のレギュレーションを最大限に生かしたスーパー・スピード

そしてブロードスピードのアングリアは

クーパーチームを寄せ付けず

ジョンフィッツパトリックのアングリアがチャンピオンへと輝く。

翌’67年もジョン・ローズ・ジョン・ハンドレイ組で

BRSCサルーンカー・チャンピオンシップを戦い

10レース中7回のクラス勝利を挙げ、見事雪辱を果たした。

そして、MkIIボディとなった’68年度のクーパーチームは

ジョン・ローズとスティーブ・ニールがドライブ。

1293ccのエンジンにフューエル・インジェクションで筆頭に

Gr.5のレギュレーションに合わせて造られたジョン・クーパー・チームの

2台はデビューした強力なライバルフォード・エスコート1300GTに立ち向かう。

そして英国内1300ccクラスを激しいバトルの末に50ポイントの僅差で

ローズがエスコートのフィッツパトリックからタイトルを獲得。

そしてニールも3位入賞し、ドライバーズポイントもローズが獲得

久しぶりのミニ・クーパー栄光の年となった。

 

BLMCワークスよりも速かったミニは??

クーパー・ブリタックス・ダウントン・ミニ・クーパーS MkII

BL以降はラリーからレースへとコンペティション活動を移行し

赤いボディに白のルーフのワークスマシンを投入。

BLのスポンサードを失ったクーパーは

シートベルトのメーカーのブリタックスと

ブリタックス・クーパー・ダウントン・チームを結成し

新たなシーズンに挑む。

黄色のボディに黒のルーフとストライプの1275Sをゴードン・スパイスと

スティーブ・ニールがドライブ。

12インチのタイヤ選択というアップデートもあり

ミニ同士のバトルはBLMCワークスよりもブリタックスが勝っていたが

スパイスはフィッツパトリックよりポイントを奪うもの

クリス・クラフトには差をつけられBクラス2位がチーム最後のリザルトとなった。

その後もゴードン・スパイスは様々なカテゴリーで

5回のチャンピオンに輝き、’80年代には自らのレーシングマシン

“SPICE”でル・マン24時間レースなど

主にロングディスタンスにチャレンジを続ける。

そして、スティーブ・ニールもチーム・ダイナミクスを率い、

息子マットは英国ツーリングカー選手権で

3度のチャンピオンに輝いた。

 

当時の最強チューナーは?

ダウントン・エンジニアリング

英国ウィルトシャー州のダウントンにて創業した

チューニングショップ。

創始者のダニエル・リッチモンドが

チューニングしたミニが高く評価されたことで

BMCよりエディメイヤーとの共同で

クーパーSのパワートレインの開発依頼を受けることになった。

(なお、クーパーは主にシャシーの開発をおこなっていた)

その後も、ダウントンチューンのミニはワークスカーとして、

国際ラリーやレリーで活躍を見せ、

製作したCパーツはミニオーナーから注目を集めた。

 

アーデン・エンジニアリング

クーパーやダウントンと同じく、

ミニのモータースポーツシーンに大きな影響を与えたチューナー。

その傾向は過激なものが多く、エンジン特性を大きく変えてしまう

8ポートのクロスフローヘッドは

ワークスマシンへの採用にとどまらず

BMC純正のCパーツとしても発売された。

また、レース活動では970ccエンジンを+29ccボアアップ

マグネシウムピストンと燃料噴射、さらに8ポート化したクーパーSで’

69年の英国ツーリングカー選手権を制覇しているが

そのマシンスペックは9500rpmで115psと、

やはり過激な仕様だった。