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ローバーミニ コラム|小さな英国がニッポンに来た…series1-第3回

“小さな英国”が我が国で辿った足跡をシリーズで追う

 3年、時を進める。1997年も同じようにモンテカルロへの参加オーダーがあった。ただ、直接のオファーはフランスのローバーから。当時のプレスリリースから引用しよう。
“1997年のラリー・モンテカルロには昨年末に投入したばかりの新型ミニ・クーパーが5台エントリーしている。うち2台はローバーグループの関連組織、ブリティッシュ・モーター・ヘリテイジ(BMH)によるものだが、3台はフランス、イタリア、そして日本というローバーの各国現地法人によるスポンサードを受けた参戦である”
5台のうちローバーイタリアとBMH、2台がグループA、残る3台がグループNでのエントリーとなっていた。

「前年の秋になってローバーフランスから声がかかって、英国からグループAがエントリーするから、周囲を各国のミニでもり立てようとね。日本もそれに乗ったんですね。クルマは用意してくれるし、サービスも共有できたので。ただ、’97年の参加オーダーは媒体露出を考えたのか、乗車メンバーにジャーナリストを乗せるようにとの指示があったんですよ」と森川氏はいう。

 ここで登場するのが日下部保雄選手だ。つまりこの’97年のラリー参戦は宣伝活動的な側面を持つということだ。ローバージャパンの社員である森川氏は、結果はともあれ、まず完走することを目標に置いて思ったという。

「国際ラリーで最後まで走りきることがどれだけ難しくて、大変なことなのかはよく知っている。だから欲しかったのはステディでマシンを壊さずに走る“枯れた”ドライバー。で、日下部保雄クンに話を持っていったんです」

前回の号に記したが、両名は高校の同級生で、国内ラリーでペアを組んでいた間柄だ。日下部氏の返答は、森川氏がナビを務めるなら、という条件だった。

「私が乗ることになったのはそれだけが理由。正直なところ、仕事背負っていくのは嫌だったし、体力的にもね……」と笑いながらいうけれども、過去に5回もモンテカルロでナビゲーター(コ・ドライバー)を務めて、’94年にもミニを持って行っている森川氏に盟友・日下部氏が“乗れっ”というのは、むしろあたりまえの流れであろう。そうしてふたりは年明けのモンテカルロへと旅立つのである。

時は下って森川氏が参戦した2014年のラリー・モンテカルロ・ヒストリックのスタートシーン。
2014年の参加車輌はヒストリックらしくMk-IIを使用した。4連サブランプはお約束だ。

 ローバージャパンとしてラリー・モンテカルロへの参戦は’94年に続いて2回目。車輌はスポーツパッケージの新型ミニ・クーパーだ。コンストラクターは英国のローバー・スポーツ、社内のスペシャルセクションで組んだ。いうなれば最後のワークスミニである。車輌はもとより、パーツ類もホモロゲーションが切れていて、いろいろ問題が山積したようだ。とくにタイヤサイズには難儀したと聞く。’97年はローバージャパン自体がメインスポンサーとなった。なぜ5台中1台だけがサーフブルーで、どうしてそれを日本チームに割り当てたのかが長年の疑問だったのだが、すべては本社の選択、単にあてがわれたクルマが青かっただけのことらしい。それが真実なのかも釈然とはしないのだが、ひとまず溜飲は下げておこう……。

 WRCに組み込まれて以降、ラリー・モンテカルロの伝統的なスタイルはアマチュアの限られたカテゴリーだけが行うことになる。フランス、ドイツ、イタリアの各地からスタートしてモンテカルロに集合しラリーを開始する。スタートまではコンセントレーションランといって、いわば市街地を含む移動走行だ。それでも、ミニにとってはかなりキツいオーダーだったようで、全開走行の連続を余儀なくされた、と。

「ランス(フランス)をスタートして、モンテカルロに集まったら本社のイベントが用意してあったんですね。当日のお披露目、SSスタートの前のデモンストレーションランの先導車としてACV30と、ヘリテイジのワークスカー3台を走らせた」

 ACVはアニバーサリー・コンセプト・ヴィークル、ワークスミニのハットトリック達成から30年の記念行事用として作られた。MGFのシャシにアルミボディ、次世代のミニなのかと少しばかりゾワッとしたが、プレスリリースではキッパリと否定していた。紛らわしいことをするものだ。エキシビションの話題は機会を譲り、森川氏にはラリーの話をしてもらおう。

「ミニは排気量がいちばん小さい1,300cc以下のクラス。ライバルはプジョー106やスズキ・スイフトがいたんですが、みんな速い。上り坂では一気に抜かれてしまう。勝てるとは最初から思っていなかったけれど、こりゃ完走するしかないと強く思ったかな……」

 それでもスペシャルステージではなかなかの走りをしたという。路面に雪が残るような難しく厄介なコンディションでは、他のクルマが成績を落とす中、“枯れたドライバー”が安定した走りを見せた。

「残雪のSS3では総合46位、クラス1位となるような成績を残し、順調に進んでいたんですけどね……。第5SSでスタートして400mちょっと。3速にシフトして緩い右コーナー、橋があってブレーキングをしたとたんにクルマが右に吹っ飛んでいった。コントロール不能で右側の石垣に衝突して橋の途中で止まってしまったんです。トラブルの原因はテンションロッド先端のナットが外れたこと。サービスのエラーだった。ここでも“もしも”はないけれど、フランスチームよりアベレージは良かったから、クラス優勝が狙えるようなポジションにいたことが残念。競技というのはそういうものだね」

 ミニでこれだけ走れるんだ、ということを証明したかったと話す森川氏、その意志を達成できなかったこと、グループNの中で唯一のリタイヤだったことがふたりにとっていちばん悔しい思いなのかもしれない。

「実感としては納得できない終わり方だったな、と。ただ、ミニに関しては大したものだと素直に感じた。残る二台は走りきったから、耐久性は証明されたってことでしょう。で、なによりミニは人気者なんだよね。このときは競技に参加して常にミニと一緒にいるわけだから、どこに行っても沸き上がる歓声をダイレクトに感じるし、みんなの顔がニコニコになるのが分かる。たくさん応援してもらって、凄く嬉しかった。ミニは特別なクルマなんだなと感じられたことがご褒美かな」

森川オサム氏は70歳。現在はメディアに寄稿しつつ、プランナーとして活躍。モンテカルロには13回の参戦実績がある。

 生産が終了して20年になろうという今、もう、こうやってワークス体制に近いスタンスでミニがラリーシーンに登場することは叶わない。歴史に“if”はないと何度もいっておきながら、もしも大勢のギャラリーの目前をミニが疾駆していったとしたら、今も変わらずに声援を送ってくれるのだろうか。今も特別なクルマでいられるのだろうか……。森川氏の話を聞いて、そんなことを考えてしまった。

 森川氏は’97年のミニでの出場を含め、WRCのモンテカルロに6回、ヒストリックに7回、計13回の実績(そのうち3回はミニ…)がある。走るミニの報道を見てラリーを始めた氏が、最終期のミニをラリー・モンテカルロに連れて行ったことに何かしらの必然を感じてしまったのは筆者だけではないだろう。そんな氏にミニは今も特別……といわれると思わず笑みがこぼれてしまうのであった。

小さな英国がニッポンに来た… 終
 


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