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ローバーミニ コラム|小さな英国がニッポンに来た…series1-第1回

“小さな英国”が我が国で辿った足跡をシリーズで追う

ミニの黎明期、1960年代をミニが世界発信を重ねた黄金期とするならば、終盤の10年間は日本の多くのファンにとってミニを存分に楽しむことができた黄金期といえよう。ミニが遺したモンテカルロでの偉業を多くの人にリプレイさせるきっかけを作った1994年、そして1997年のラリー・モンテカルロへの参戦をテーマに構成してみたい。そのとき、森川氏のラリイストとしての視線は何を見ていたのだろう。

小さな英国がニッポンに来た…第1回 森川オサム氏 インタヴュー

 ミニがメジャーな国際大会の舞台で名をあげたのは、なんといってもラリー・モンテカルロを置いてない。往時、ミニを生産していたBMCのワークスチーム、『コンペティションデパートメント』は1959年8月のデビュー直後、コンペティションの現場にミニを投入し、もちろんモンテカルロにも翌年1月からチームを送り込んでいた。

 ラリーシーンで最初にして最大の成功劇、後々まで語り継がれる金字塔が1964年のモンテカルロでの総合優勝だ。前年にデビューしたクーパーSの高い戦闘能力が証明された一件だ。その後、さらにスープアップしたクーパーSは多くのラリーシーンを席巻し、ミニの名を広く世界中に喧伝することになる。

’94年に登場した限定車の『モンテカルロ』。この販売は周到に計画されたのだろうか。

 生誕35周年を翌年に控えた1993年。ローバー・ジャパンがプレス・リリースを配布した。「ミニ・オン・ザ・モンテ1964ー1994」と記された綴りには、ラリー・モンテカルロでの初優勝から丸30年を迎える62回大会に最新のミニ、つまり’93年モデルをベースとした競技車輌を準備し、ワークスチームを編成して参戦するとあった。しかもチームのエースドライバーには、優勝当時に勝利したパディ・ホプカークを起用した。1994年はミニ35周年のアニバーサリーだから何かしてくるだろうな、とは思っていたけれども、モンテカルロ初優勝を持ち出してダブルタイトル・イヤーとし、リアルに参戦をするとは。いやはや、恐れ入谷の鬼子母神ってな感じだった。

 さて、冒頭のこの流れで、今回のテーマはご理解いただけることだろう。’90年代、ローバーは2回、ラリー・モンテカルロにミニを出走させている。1994年と1997年。前段がその1回目、’94年エントリーの幕開きである。

 パイロットは森川オサム氏である。実のところ氏は、この2回のラリー・モンテカルロに大きく関わっている。’94年はジャパンチームのマネージャーとして、そして’97年はプレイングマネージャー、ナビゲーターとしても競技車輌に乗った。今さら歴史の流れが大きく変わることはないとは思うが、傍らで見続けた森川氏のエピソードとともに’94年、’97年を振り返ってみよう。

 「その時はローバー・ジャパンのマーケティングをやっていましたからね、当然、本社意向は伝わってきましたよ」と森川氏は言う。
「’94年はモンテカルロ初優勝の30周年になるから、英国本社としてはミニをモンテに復活させたいという内容でしたね。当時はすでに日本はミニのナンバーワン・マーケットになっていましたから、当然のように日本からも関わって欲しい」ということだった。

’97年の車輌は最終モデル、なぜかサーフブルーだった。サブランプは当時を彷彿させるグリル前の4連装着だ。



 英国本国からのオーダーはこうだった。
「競技マシンを何台か作るので、そのうちの一台をジャパンが担当する。つまり、チームやマシンのサポートはローバーグループでやるからスポンサーを見つけてチームオーナーになれ、ということですね。ミニは主流商品だったので受けるしかないですよね、ジャパンとしては……。で、モンテカルロを走った経験があるので、私のところにお鉢が回ってきた、というわけですよ」

 競技経験とマネージメントではまったく別のスキルのような気がするが、それ以上に当時のジャパンの中では手に余る本社オーダーだったに違いない。いきなりモンテカルロに出るぞ、といわれても、経験したことのない事柄には、ふたつ返事でほいほいっというわけにはいかない。おそらく、渡りに船の森川オサム氏だったのだろう。

「まずはスポンサー探しからですね。最終的にはネコパブリッシングが冠スポンサー、ユニクラ、JACCS、カストロールやヴァージンエアなどの著名企業がスポンサードを引き受けてくれた。だから、チーム名は『NEKO ROVER MINI』、101号車です」

 すでに、本社チームは当時の車番に準じて37号車を用意し、ドライバーにパディ・ホプカーク起用を決めていた。
「日本チームも対抗しなければいけないから、101号車にはティモ・マキネンとポール・イースターの本当のコンビを選んだんです。それくらいしないとね」と当時を振り返る。

 森川氏がいった“本当のコンビ”のフレーズが妙に響いた。’64年にホプカークと組んだヘンリー・リドンは残念ながらすでに他界していたので、本社チームでは本モノのゴールデンコンビは成立できなかった。37号車のナビゲーターを務めたロン・クレリンも往時のBMCワークスドライバーなのだが、そこに森川氏のこだわりが顔を覗かす。1965年に総合優勝を勝ち取ったマキネン/イースターのビッグペアにシートを託したのである。そして、車輌のレジストレーションナンバーは『L66LBL』、’67年当時に彼らペアが乗った車輌のナンバーLBL66Dにちなんで用意したものだ。30年を隔てたラリー・モンテカルロを誰もが楽しんでいた風情が伺える。

第2回へつづく……


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