いまさら聞けないミニのアレコレ。7

歴史のことやモディファイのこと……。

ミニに関する基礎知識はたくさんあるけれど

実はよくわかっていなかったり

ちゃんと考えたことがないことってありませんか?

そんないまさら人に聞けない疑問に

編集部がお答えします!第7弾

 

ミニのモータースポーツ史に黄金期をもたらした人は

スチュアート・ターナー

BMCのコンペティションマネージャー。

かつてはメルセデスなどのワークスラリードライバーとして活躍しており

ジャーナリスト転向後も850ccのワークス・ミニで英国内での

クラブラリーで優勝をおさめている。

’61年のマネージャー就任後は、モンテカルロ・ラリーでの

総合優勝やヨーロッパツーリングカー選手権のチャンピオンに導き

モータースポーツにおけるミニの黄金期を築き上げた。

 

型破りな発想で1275ccSのエンジンを作り上げたのは?

ダニエル・リッチモンド

 内妻バンティとともに「ダウントン・エンジニアリング」を

立ち上げた英国人チューナー。

チューナーとしては、ミニが登場する’59年以前から活動していたが

彼がチューニングした1台のミニが評判を呼んだことで

次第にクーパーのチューニングを手がけることになった。

なお、そのユーザーの中には、エンツォ・フェラーリもいたという。

その後、BMCに招聘されたダニエル氏は、クーパーSのパワートレイン開発を手がけ

それまでのレイアウトでは不可能といわれていた排気量の拡大を

シリンダーの位置をオフセットすることで可能にし

1275ccの排気量を実現。

さらに、ダニエル氏が製作した

ヘッドやマニホールド、キャブレターも純正採用されるに至った。

 

ローバーに先立ってミニクーパーモデルを復活させたのは?

ミニマルヤマ

‘61年にミニのラインナップに登場して以来

スポーツカーとしても人気を博したクーパーシリーズだったが

MkIIIクーパーSを最後に、ラインナップから姿を消した。

しかしその後もクーパーモデルを望む声は衰えなかったことから

東京・墨田区の「ミニマルヤマ」がクーパーモデルの復活を計画。

代表の丸山和夫氏自らがジョン・クーパー氏にコンタクトを取り

クーパーモデル復活の協力を要請したという。

交渉の末、再びミニを手がけることになったジョン・クーパー氏は

’87年にミニ1000用の「ジョン・クーパー・パワーキット」を製作。

このチューニングキットとともに

これを組み込んだコンプリートモデル「ジョンクーパー・ミニ」が

ミニマルヤマから発売されたのだ。