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【特別企画】ミニマルヤマ 丸山氏 × 長老・岩村スペシャル対談 前編

 

東京都墨田区の「ミニマルヤマ」は、ただのミニ専門店ではなく、ミニの歴史を語る上で、決して忘れてはいけない存在だ。
その功績は、今日に至るまでの日本のミニ業界を牽引しただけでなく、現行のミニにも引き継がれた「クーパー・ブランド」の復興など、本国にも影響を与えたのだ。
今回は、STREET MINI WEBを立ち上げるにあたり、特別企画として同店の代表・丸山和夫氏との対談が実現。
日本のミニ最盛期を知る、本誌でおなじみの長老・岩村が、日本のミニ業界を大きく動かした同店の歴史に迫るーー。

 

編集部 まず最初にうかがいたいのは、クルマ大国がひしめく先進諸国の中でも、日本は本家の英国を差し置いて世界一のミニ保有国と言われています。なぜミニは、ここまで日本人の心をつかんだのでしょうか?

丸山 日本人は、基本的に小さいもの、高性性能なものが好きな人たちであることは、わざわざ例を上げるまでもないと思います。でも、それだけだったらミニは日本でここまで成功しなかったと思います。小さくて高性能に加えて、高価な海外製品だったからではないでしょうか。クルマは個人のステイタスを象徴するものですから。

編集部 確かに昔から日本では、海岸に流れ着いた海外からのさまざまな漂流物さえも有難がったくらいですから、日本人の舶来信仰は揺るがないものがあると思います。それでも日本と英国は、島国、立憲君主、国土面積、左側通行、お茶好きその他、いろいろと似通ったところがあります。もしかしたらクルマに対する考え方にも両国には通底するものがあるのではないでしょうか。

丸山 それはどうか分かりませんが、為替の関係で日本ではミニは高価なクルマだったけれど、英国では高価なクルマではありませんでした。英国の金持ちはミニは買いません。そこは厳密なクラスがある社会ですから。それは日本でも同じことで、当時の日本ではミニはクラウンよりも高価だったわけです。これは単純に為替、つまり国力の差があったというだけのことですが、それが結果的にミニのポジションを決めてしまったわけです。

編集部 そう考えると、日本では高価で憧れの存在だった頃から、’90年代になって庶民にも手が届くようになるまで、ミニはずっと愛され続けたクラスレスのクルマだともいえますね。ところで、丸山さんは父親から受け継ぐカタチで自動車販売を始められたのですか?

丸山 父親は終戦後に外国からクルマを35台輸入してタクシー会社を設立したんですね、1949年、戦後4年しか経っていない頃です。家が特別裕福だったわけではなかったのですが、投資家を募ってともかく会社を興したわけです。確か東京で初めて作られた実用タクシー会社のひとつだったと思います。

岩村 マルヤマ自動車という社名だったのですか?

 

丸山 いえ、当時は「ハクシン」という社名だったと聞いています。クルマは「ディーカーベー」や「フォードコンサル」を使っていたそうです。本当はモーリスを使いたかったそうですが、当時はモーリスはプライドがあったのかタクシーには使わせてもらえなかったそうです。その頃はまだ日本車との品質の差が大きかったようで、ある時、父親が福島県にダットサンを3台販売しようと思って東京から出かけたものの、福島にたどり着くことができたのは1台だけだったと話していたことを覚えています。

編集部 当時のタクシーも「流し」でお客さんを探して乗せていたのですか?
丸山 外国のクルマを使ってみたものの、1台あたり1日250kmは走らないと利益が出ない状況だったようで、上野駅で最終列車を逃した人を主に乗せていたようです。急用でどうしても故郷に帰らないといけない人がいますから、上野から那須や松本までといった遠距離のお客さんが多かったと聞きました。ただ、外車といっても今のクルマと違って信頼性が低かったものですから、父親はメカニックの育成に注力したんですね。そして優秀なメカニックが多く育って、彼ら優秀なメカニックが後のミニマルヤマを強力に支えてくれることになるのです。

岩村 丸山さんがミニに関心を抱いたのはいつ頃のことですか?

丸山 私は学生時代からいろいろな仕事をしていたのですが、将来を考えた時に日本で良いビジネスが思い描けなくて、それならばヨーロッパに行ってみようと思ったわけです。

編集部 英国ですか?

丸山 いえ、当時の英国は落ちぶれていて興味が湧かなくて、最新の文化に触れたくてパリに行きました、1969年のことです。その頃のパリの街には驚くほどたくさんのミニで溢れていましたね。サンジェルマンでも路地裏でも、街中で写真を撮れば避けようもなくフレームにミニが入ってしまうほどでした。それでミニもいいな、と思ったのことがきっかけですね。それでパリ郊外にクルマのアクセサリーを扱うお店がたくさん軒を連ねるエトワールという街があるのですが、地下鉄に乗ってそこに行って、ミニに合いそうなステッカーや小物などをたくさん買って日本に持ち帰りました。そして、1973年にミニマルヤマを立ち上げたわけです。

編集部 かなり豪気な決断ですね。

丸山 最初にやったのはミニのマニュアル作りでした。当時、日英自動車にミニのマニュアルが欲しいと訪ねてみたものの、まだキチンとしたマニュアルはなかったんですね。今後、作業の効率と質を上げるためには、知識を広く共有できるマニュアルが必要だと思って、当時、銀座にあった「イエナ書店」という洋書屋さんに行ってミニ関連の本をたくさん入手しました。

岩村 丸山さんが作ったマニュアルはイラストがたくさん使われていて分かりやすく、工具の種類まで解説されているマニュアルでしたね。

丸山 私の場合は、ただミニが大好きで趣味の延長でビジネスにしたというわけではないんですね。もちろん、ミニは非常に魅力的なクルマです。ただ、ミニのビジネスをやる以上、戦略的に業界を形造っていかなければならないし、それをやる価値があるクルマだと思ったわけです。雑誌社にミニの企画を持ち込んだり、カメラマンやスタイリストの人たちに頼んでミニを撮影に使ってもらったりもしましたね。

岩村 まさに丸山さんが思い描いた通りのミニのマーケットが日本にも誕生し、現在まで続いているわけですが、今後のミニを取り巻く状況はどう変わっていくのでしょうか?

丸山 最初にもいった通り、ミニは小さくて高性能で高価だったことで、日本人の心をとらえました。でも、現在は状況が違います。それでもいま、ミニに乗りたいと思う人がいるのは、格好よくミニを乗りまわしていた先人たちがいたからこそだと思うんですね。私は、冴えないミニが街を走っているのを見ると、買い取って作り直して新しいユーザーに手渡したい気持ちになります。

岩村 編集部 そうですね。

丸山 実際、私も、そして日本のミニ乗りも、英国のミニ乗りに対してある種の優越感を持っていたような気がするんです。産みの親より育ての親という気概がありました。ただ、少し残念だったのは、ミニ生誕50周年の時に英国では盛大に各種イベントが催されたのですが、日本では大きな動きは起こりませんでした。産みの親に屈した気分です。だから来年のミニ生誕60周年では、ショップの垣根を超えて英国に負けないようなムーブメントを起こしたいと考えています。

<後編へ続く……>


ミニマルヤマ代表 丸山和夫氏

東京都墨田区のスペシャルショップ「ミニマルヤマ」創設者。
英国のコンストラクター、ジョン・クーパー氏とともに手がけた「ジョン・クーパー」チューニングキットを発売したことで、クーパー・ブランドを復権。これを機に、’90年代における日本のミニ文化の先駆け的存在となった。

長老 岩村博史カメラマン

STREET MINI本誌でおなじみの、長老こと岩村博史カメラマン。
ミニがもっとも沸いた時代をミニ専門誌「ミニ・フリーク」編集長という立場から知る。現在は、本誌のイベント取材を中心に活動している。

 

STREET MINI 編集長K

STREET MINI編集長。
大手情報誌で副編集長を務めていた経験から幅広い知識を持ち、ミニに対する取材では、歴史や文化を交えて考察する。
今回は、対談の進行を務めた。

 

 

 

 


photo=streetmini text=naoki kiyohara

special thanks=ミニマルヤマ

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